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「キムリア」が22日に承認へ。薬価は3349万円 [白血病]

 ノバルティスが開発した、白血病のCAR-T療法の治療薬キムリア一般名:チサゲンレクルユーセル)が、22日に日本でも承認される見込みらしい。承認販売されていたアメリカでは、薬価がやく5200万円という超高額。キムリアは1回の投与だけでよいらしいが、それにしてもすごい値段だ。日本では高額療養制度の対象になるとはいえ、すごい価格だ。もし自分が投与されるかどうかとなった場合、当然全額自費では無理だから、同制度を利用させていただくことになるだろうが、こんなに高額だと国(国民・保険加入者)にこんなに負担かけていいのだろうかと悩むと思う。



現在日本で対象になる患者は、219人かな。最大250人だそうです。単純に掛け算すると72億円〜84億円くらい。これしか患者がいないと、やっぱり単価を高くせざるを得ないのでしょう。オプジーボの時もよく言われたことですが、高いけど仕方ないのでしょうか....。外科的に切って取り除けないタイプの癌は、薬剤しかないからすごい価格になりますね。


気になったのは記事の最後の部分。

CAR-T療法では、細胞投与から数週間以内に副作用としてサイトカイン放出症候群(CRS)が高い割合で発現する。CRSに対応するための薬剤とCAR-T細胞療法の前処置に用いる薬剤も、22日に承認が了承されている。

なんにせよ、救った甲斐があると思われるような人間になるしかないのかな。


 重篤な副作用の確率が高率であるため、ごく少数の施設のみへの供給らしい。どこだろう? 東大附属、京大附属、国立癌研とかかな?施設名は、発売日に公表されるとのこと。

 血球の減少などは白血病治療薬では珍しくもなんともないが、神経毒性は怖いなあ。患者自身の細胞を採取して、なんとアメリカの施設へ持って行き改変。そして患者へ戻すわけだから、同病の患者ならだれでも使えるわけではなさそう。患者の状態が適してなくては治療適用されないだろう。

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2015年の時の治療 [白血病]

 入院後しばらくして混合性白血病という診断が下り、治療プログラムが作られた。とりいそぎ輸血が始まった。血小板を輸血する前にはアレルギー止めを点滴してから輸血した。赤血球の輸血では事前のアレルギー止めなし。血小板の方がアレルギーを起こしやすいらしい。結局退院までに、赤血球と血小板を合計10回以上輸血したが、赤血球ではアレルギーを起こしたことはなかったが、血小板では一度、蕁麻疹のようなものが出た。没状疹っていうのかな。

 抗がん剤治療は自身初めてで、どんなものか恐れを抱いたが医師の説明を聞き、看護師さんのお話も聞きかなり安心して望めた。ただ強い薬なので抹消血管からでは血管が負けるらしく、首の静脈から心臓へ向かってカテーテルを挿入して(CV)点滴しなくてはならず、CVのオペをした。簡単なオペであるが、同意書が必要だった。

 CVのオペは麻酔科の若いドクターが行ってくれた。麻酔科の医師ってこんなこともできるのか!と感心した。首に局部麻酔をして17cm挿入した。痛みもなくすぐに終わった。すげえ先生だった。結局CVは4度くらい抜いたり入れたりしたが、初回の麻酔科の若い先生が一番上手だった。2度目の医師は何科のなんて医師だったか知らないが、若い男性医師で施術中もずっと若い2名の看護師とおしゃべりをしていた。きっと「簡単なオペだし余裕なんだろうなぁ」と思って横になっていたが、施術後の確認のレントゲンでカテーテルが別の方角の血管へ入ってしまったことが判明した。その時にこの若いおしゃべり好きの医師が私に「カテーテルがそっちに行きたかったとしか思えない」と宣ったのには参った。呆れてしまった。後日『手よりも口ばかり動かしているからだろ!』と言っておけばよかった、と思ったがもういいや。やっぱり医療に限らず、仕事中に女の子とおしゃべりばかりしている奴はダメだと思った。あれから随分経つが、あの反省していない態度からして、何かもっと大事なことをしでかしたに違いない。この病院での悪い記憶はこれだけで、他の医師や看護師さん、スタッフは優秀だった。特に看護師さんがいなかったら、挫けていた。看護師さんには深く感謝している。


 抗がん剤の治療は1クールでは寛解に至らず、2度目でやっと寛解になった。その後地固め療法で3度目の抗がん剤治療。全部異なる抗がん剤だった。ほとんどの副作用が現れたが支持療法と家族と看護師のサポートで乗り切れた。唯一残念だったのは、薬剤性の麻痺が両足に残ったことだ。まあ、命と引き換えだからしょうがない。

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3度目の入院 [白血病]

 2018年秋から2度目の入院をし、2019年春に退院できたのもつかの間。約一月後に息切れや胸の苦しさを覚えて外来で申告。約1ヶ月、あれこれ診察したけれど結局3度目の入院をすることになりました。

今度の入院は白血病とは違い、肺と心臓の血管の病気のようだ。これまでは移植病棟に入院していたが、今回は循環器科の病棟になりました。

 入院翌日に肺換気血流シンチグラフィーって検査をしました。痛くもかゆくもないのだけど、1時間ほど両腕をバンザイしたまま動いてはならないのが辛い。検査の結果は肺などに血栓は認められなかった。残念。血栓だったら話は早かった。溶かしたり壊したり。また日程はまだ決まっていないが、血管造影剤を入れてのMRIも予定されている。しかし自分の腎臓の値(Cr)がよくないのでリスクである。点滴を打ち排尿を促しながらやるそうだ。

 そしたら入院3日目の朝、2018年末より陽性だった肺の感染症の病変らしきものがCTで影となって見つかり、他者への感染防護と何の感染なのか診断がつくまで、個室に隔離になりました。喀痰の検査をしようにも、痰が全然出ない。咳も出ない。CRPも低い。発熱もない....。仕方ないので鼻から胃までカテーテルを突っ込んで、胃酸を採取して培養する検査をしました。早朝に起床して朝の内服薬を服用。服用後は午前の検査終了まで飲水も禁止。喉が渇いたなぁ。もちろん朝食も抜き。

 これで数日で簡易診断がつくらしい。しかし確定診断には8週間も培地で培養しなくてはならない。そんなに待っていられない。そもそも心臓と肺の症状で入院したのだから、こちらの原因究明と治療を早くしたいのだが....。なので来週予定されていた、肺の検査と首の静脈から管を入れて心臓の正確な圧を測る検査などは軒並み順延。来週後半に、鼻から肺にカメラを突っ込んで病変の部分をゴシゴシしてサンプルを採取。これで診断する。

 しかし病変が小さいのでこれでも確定診断が出る可能性は高くないそうだ。やれることはやっていくという感じだ。とにかく感染の白黒がはっきりするまで、しばらくは個室に隔離の日々が続く。

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再発して再び入院 [白血病]

2015年の移植以来ずっと調子が良かったが、2018年10月に再発して2度目の入院をしました。今回も移植でした。毎月通院して血液検査をしていたので、再発の兆候の段階で発見することができました。まだがん細胞が少ない時から治療を始められたので、化学療法が1クールで寛解に至りました。その後、前処置から移植を行い桜の花が咲く前に退院できました。

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思えば2年前だった [白血病]

2015年に早々にクリニックから呼び出しがあった。「さては血液検査の結果が出たか。まあかなり悪いんだろうなあ」とすぐに思った。年末から具合が悪くてクリニックに3度通ったのだ。

きっかけは風邪症状と下痢だった:内科へ行く

はじめは風邪かと思っていた。下痢は、もともとお腹が弱かったので特別に今回はおかしいとは思わなかった。ただ気になったことは、熱が39度も出て寝汗が凄まじい量だった。シャワーを浴びたくらい濡れて、寝間着はもちろん、布団まで濡れた。インフルエンザの予防接種は受けていなかったので、インフルエンザの可能性も考えてクリニックで検査したが陰性だった。

つぎの症状は耳鳴りだった:脳神経外科へ行く

片方の耳から耳鳴りがおこった。普段たまにある、「キーン」と高い音の耳鳴りではなく、鼓動と同じリズムで低い音がする。耳を塞いでも音がする。顔や頭に力を入れると耳鳴りは止んだり、小さくなったりする。良く掃除をしたが、どうも鼓膜よりも奥で鳴っている。こうなると素人考えでは脳の病気を心配した。そこで脳神経外科を受信してMRIと、MRAという脳の欠陥じゃなくて血管の断層撮影をした。診断は、全く問題なし。

後日医師から伝えられたのだが、この症状は白血病で赤血球が減少して貧血状態になったため、心臓が全身にもっと血液と酸素を送り届けようと頑張ってバクバクしていたことによるらしい。実際、入院してすぐに血小板と赤血球を輸血したら聞こえなくなった。 

そこで耳鼻科へ

 耳鼻科へ行って耳鳴りと、これまでの内科と脳神経外科の結果を伝えた。電話ボックスみたいなものに篭って、聴力の検査をしたら、左耳が低音域で難聴になっていた。原因は分からず。ステロイド剤を処方され、細胞を元気にする薬や、利尿剤を処方された。しかしそれでも耳鳴りは改善せず。しばらく収まっていた発熱と下痢も再発した。

今度は血液検査:2度目の内科へ 

内科で、症状の再発を説明し耳鳴りで耳鼻科を受診したことも伝えた。クリニックの先生が「うーん。血を採ってみよう」とのことで採血をすることになった。採血中、先生が血液の色を見るや「貧血おこしてるな」と言っていた。さすが医師。これは正しかった。

急な呼び出し:3度目の内科へ

採血からおよそ1週間経った2015年1月上旬。電話が鳴った。電話を取った家族曰く、クリニックからで「すぐに来い!」とのこと。この時点で 肝臓か腎臓でもやられたかと覚悟して、取るものもとりあえず診察券、保険証、スマホ、財布だけ持ってクリニックへ急ぎ向かった。

告知

クリニックではすぐ呼ばれ、入るなり先生に「白血病なんだよ」。と言われた。せいぜい身体のどこかがやられたかと覚悟していた程度だったので、一瞬思考力が奪われた。その時の自分の言動はあまり正確に覚えていないが、「確かですか?」と言ったら医師が「普通白血球が◯◯なのに、◯◯もある。」と言っていた。うろ覚えだが。確か白血球が23万とかあった気がする。

すぐに頭を巡らせたのが、身の回りの整理だった。仕事や物品やらデータやら。告知された時は間も無く冷静になれて、「自分は死んだ。それは仕方ないが、高血圧の母に何と言おうか、参ったな。」と思ったことを覚えている。

すぐに入院:大学病院へ

クリニックの先生が「この足ですぐに入院して。この街の大学病院はベッドいっぱい。他の病院は血液の専門がないから、◯◯大学病院へ入院して」 と自身の出身大学の病院へ電話をしてくれて、先生の同期の血液内科の医師に直接話してベッドを確保してくれた。まったく、医学部の同期ってのはすごいものだなぁ。空いてないはずのベッドが確保できてすぐに入院できるんだから。この地元のクリニックの先生には深く感謝しています。診察を終え退出する間際に先生が「がんばれよ」と言ってくれたことがいまだに鮮明に覚えている。

大学病院で:入院前の検査 

 クリニックを出てその足でタクシーに乗り、かなりの距離を走り途中迷いながらも大学病院へ到着。この時点でかなり具合が悪かったが、紹介状を出して、入院受付と血液内科を受診。入院前の診察と検査をした。途中、看護師さんに「この病気って死ぬんでしょ。検査とか治療とかして意味あるのですか?」と聞いたところ、「大丈夫です。退院して外来に通えるようになります。」と言われた。白血病=死亡。という古い知識しかなかった自分は、キョトンとしてしまった。いつのまにそうなったのさ?


タグ:白血病
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